真珠は世界最古の宝石と言われており、その歴史は6,000~7,000年前に遡ります。
海の沿岸に住む古代人が偶然貝から真珠を発見し、その美しさから古代王国の権力者の葬具品として重宝されてきました。

日本は古代より真珠の産地として有名で、福井県の貝塚から紀元前3,500年前の「縄文真珠」が発見されています。「日本書紀」や「古事記」、「万葉集」にも真珠の記述が見られるほど、古くから愛されてきました。また、日本最古の輸出品のひとつとして使われていたことが「魏志倭人伝」や「後漢書」の記述からも分かっています。

そして、1893年に御木本幸吉が半円真珠の養殖技法の発明に成功し、1907年には西川藤吉および見瀬辰平らが真円真珠の養殖技法を発明したことにより、真珠養殖の本格的な生産が始まりました。
1919年、養殖の真円アコヤ真珠はロンドンで販売され、天然真珠より安価で販売されたことで、世界の真珠業者に衝撃を与えました。1921年にイギリスで天然真珠を扱う真珠商や宝石商を中心に「養殖真珠は偽物だ」として排斥運動がおこり、パリで裁判にまで発展しましたが、1924年に天然真珠と養殖真珠には全く違いが無いということで決着しました。
日本の養殖真珠はそれまでの天然真珠にとってかわり、欧米の宝飾市場で台頭したことで真珠の価格は低下し、真珠の需要は「王侯貴族から大衆へ」と広がっていきました。
同時期に世界的な大恐慌が始まったこともあり、ヨーロッパの天然真珠市場は壊滅し、バハレーン島やアラビア湾岸地域の人々は唯一の産業である真珠業を失うことになりました。

戦後、独占禁止法や新漁業法により真珠養殖業に乗り出す人が増え、1950年代には世界の9割のシェアを占めるほど、日本の養殖真珠の生産体制は確立されていきました。
成長の一途をたどる真珠産業でしたが、1990年代になると、海の環境悪化やウイルス感染症の蔓延により、アコヤ貝の大量死が全国で相次ぐようになりました。1998年には、全国のアコヤ貝の死亡率は75%にもなりました。大量死の原因は10年以上解明できませんでしたが、病気に強い貝を作ることで対策をし、少しずつ貝の死亡率は減少していきました。
近年では、人工干潟や藻場を復活させる活動など、海の環境改善への取組みが進められています。